リーガルエッセイ

公開 2020.10.08 更新 2021.08.13

恋愛も、仕事も、犯罪も。 「コミュニケーション」の大切さを考える

記事を執筆した弁護士
Authense法律事務所
弁護士 
(第二東京弁護士会)
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。司法試験に合格後、検察官任官。約6年間にわたり、東京地検、大阪地検、千葉地検、静岡地検などで捜査、公判を数多く担当。検察官退官後は、弁護士にキャリアチェンジ。現在は、刑事事件、離婚等家事事件、一般民事事件を担当するとともに、上場会社の社外役員を務める。令和2年3月には、CFE(公認不正検査士)に認定。メディア取材にも積極的に対応している。
<メディア関係者の方>取材等に関するお問い合わせはこちら

少し前になりますが、知人女性から相談を受けました。
(知人女性には、ここに掲載することの承諾をもらっています。)

  • 知人「彼と別れるかもしれない」
  • 「そうなんだね」
  • 知人「私のこと、もう好きじゃないみたい」
  • 「あなたのこと好きじゃないって言われたの?」
  • 知人「付き合いだしたころは、好きだってしょっちゅう言っていたのに、最近は言わなくなったってことは、もう好きじゃないってことでしょ?愛情が薄れたってことじゃない?だから、仕方ないかなと思って」
  • 「付き合いだしたころに好きだって言っていた人が、『あのとき好きだって言ったのは撤回する』って言ったわけじゃないんだよね?撤回されたわけじゃないんだったら、最初に言っていた好きだっていうのが暗黙のうちにずっと続いているってことじゃないの?」
  • 知人「(明らかに、「恋愛を知らないやつめ」という表情)違うでしょ。ポジティブすぎるでしょ」
  • 「ここで想像していてもわからないから、直接聞いたら?」
  • 知人「聞かなくても明らかでしょ」
  • ここで話は終了。

恋愛の相談相手としての自分の力量不足は正直否めません。
相手の気持ちに寄り添う努力も全くもって不十分。
その点は猛省しなければならないと思いますが、その猛省の過程で、ではどうしたらよかったのか、と考えていくと、「やっぱり、言葉に出して確認する作業は絶対に必要だな」と感じます。

このように感じること、実は、日々の生活の中で本当に多くあるのです。
先日、最近のリモートワーク生活の弊害として、コミュニケーション不足という点が挙げられている記事を読みました。
具体的な声として、「部下に任せた仕事がどうなっているか不安」「在宅で目が届かないから、ちゃんと仕事をしてるのかと疑心暗鬼になってしまう」「上司や先輩に相談したいけれど、今、質問していいタイミングがどうかわからないから不安で聞けない。こんなこと聞いていいのかわからず不安で聞けない」などが挙げられていました。
たしかに、出勤して顔の見える距離にいれば、挨拶ついでに状況を確認することもできる、仕事をしているかどうかは表面的には見ることができる、相談したい相手の忙しさも見ればなんとなく感じられるからタイミングを見計らって相談できる、一方で、顔が見えないとそれができない、というのはもっともですよね。
でも、「できない」と結論づける前に、もうちょっとできることがあるようにも思います。
様子がわからない、だから、自分で抱えてもやもやする、というのは、その時間も精神的負担もとてももったいない気がします。
たとえば、相手にお願いした仕事の進み具合が見えなくて不安なら、まず、その不安を相手に伝えるだけでも効果がありそうですよね。
相手がこちらの不安に気づいていない可能性があるのだから。
いろいろな立場、考え方があるのだから、自分基準であれこれ想像してもあまり意味がなさそうで、その時間があったら、相手に伝える、その上で解決策を一緒に考える、ということができればお互いにとっていい状態になるように私は思います。

何もリモートワークのことだけでなく、夫婦間でのコミュニケーションも同じことがいえそうですよね。
相手の言った言葉、とった行動の意味を考えて、相手の悪意を感じてしまったりすることってあると思います。
それが積もり積もって夫婦関係が破たんするところにまで行きついてしまうことも。
もっと早い段階で、相手の言った言葉の意味を確認したり、それをどう感じるのか自分の気持ちを伝えたりする中で、お互いの気持ちを正しく理解した上で「じゃあこの問題をどうしようか」と考えていけたほうが生産的だな、と思うことがあります。

ちょっと極端な話に聞こえてしまうかもしれませんが、もうちょっと丁寧なコミュニケーションがとれていたら犯罪の発生を防げたのではないかと思えることもあります。
犯罪捜査の過程で、被疑者の動機を探ることは必須となります。
動機を掘り下げていったとき、被疑者が、被害者のかたに抱いた殺意を形成したおおもとのエピソードというものを聞くことがあります。
検察官として殺人事件の取調べ中、被害者のかたに殺意を抱くきっかけになったのは、この被害者の一言だったという話を聞いたことがあるのです。
その話を聞いたとき、私が、思わず「え?どうしてその被害者の言葉をそう解釈したの?被害者はあなたがとらえたような意味でなくて、こういう意味で発言したんじゃないの?その場で、被害者に、『その言葉ってこういう意味なのか?』と確認した?」と言ったことがあります。
少し考えて、被疑者が、「今思えば、当時の自分が被害妄想になっていたような気がする。今、あいつが違う意図で言ったんじゃないかって言われて考えてみたら、たしかに、あいつは、自分への親切心でそういう言葉を言ったのかもしれない。今さらおそいですね」と言ったんです。
これは、少し極端な例かもしれませんが、私にとっては衝撃的な話でした。
勝手に解釈することのおそろしさを実感しました。
私自身も含め、だれもが、自分の見方で相手の言動を見ているから、実際の相手の気持ちとこちらの想像する相手の気持ちとにギャップが生じることってあると思うのです。
実は相手はネガティブな意味で言っていたことをこっちが勝手にポジティブにとらえるのはまだいいと思うんです、少なくとも受け止める側の精神衛生上は。
でも、ギャップがあり得るということを前提に、手間を惜しまずに、そのギャップをコミュニケーションをとることで埋める努力をすることで防げるトラブルがあるような気がしてなりません。
みなさんはどう思いますか?

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